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 気功と聞くと、日常の生活からかけ離れているものだと思いがちではないだろうか。しかし、実は気功はごく身近なところから発生したと考えられる。たとえば夏の猛暑には、人間も犬のように口をあけて「ハーハ−」と息をすることがある。これは体内の熱を外に放出する効果がある。また疲れたときには、あくびをしたり、体を伸ばすといくらかでも楽になるものだ。体のどこかが痛くなれば、自然にその部分に手をかざしたり、揉んだりさすったりすると痛みが和らぐ。このような人間の自然の本能から生じる動きは、みないずれかの気功の流派の動作の中に見ることができる。前述の犬のような息づかいは、古い気功法「六字訣」の六つの発声法のうちの一つで、心臓の火気(熱気)を発散するための練習となっている。体を伸ばしたり按摩する動きは、気功の導引・按摩法・体を叩く動作に非常に似ている。ゆえに、そのような人間の自然発生的な身体保健の動作が、気功の起源の一つと見なして良いだろう。

 実際に、史書の『尚書』、『史記』、『黄帝内経』にも、同様なことが記述されている。それによると、四千年前に中国の中原地区(黄河流域)に長期間にわたって雨が降り、非常に多湿となった。そのため気血が滞り、筋肉や関節などに痛みを生じるなど、全身的な疾病に悩む人が激増した。そこで人々は、舞踊やある種の導引術を用いて気血を導いて通じるようにしたところ、これが病気治療に大きな効を奏した。この舞踊や導引が、後に気功の原形の一つとなったと推察できる。

 また、1957年に出土した彩陶罐には、上部に人型の塑像がある。両目がかすかに閉じ、口の形が円形で腹部が出ている。両手は腹部の両側に置かれ、両膝をやや屈して両足を開いて立っている。これは站庄吐納(呼吸)の気功練習の姿勢に他ならない。さらに興味深いことは、この人形は上半身は男の、下半身は女の形をしている。男女を一体にすることは、陰陽調和の象徴であり、このことは陰陽合一という気功的な思考の表れといえるだろう。この文物は五千年以上前のものと推察される。つまり古文書や文物などから推して、中国気功は四、五千年以上の歴史を持つといっても過言ではない。

 しかしながら、気功という言葉の歴史は気功そのものに比べると、そう長いものではない。3世紀、晋の時代の道士、許の著作『霊剣子』に気功という言葉が初めて登場したが、その意味は現代のそれとは違っていた。その後武術気功の世界で気功という言葉を多く使うようになったが、明確に気功という名詞が書物に登場するのは清代をになってからである。『少林拳術秘訣』には「気功闡微」という章があるが、ここにおける気功の説明には二つあり、一つは気を養うこと、もう一つは気を練るということ。ここにおいて、気功という言葉が正式に世に登場することとなる。

 1934年に出版された董浩による著作『肺癆病特殊療法・気功療法』は、医学界が初めて気功という名を用いた本である。1953年、劉貴珍先生は、唐山で気功療養院を創設し、その後北戴河気功療養院を創設した。1957年には『気功療法実践』が出版され、気功による療法は中国全土に広がった。

 さて、1970年代から80年代初めにかけて、気功は大きな変化を見る。気功は病気治療に応用されるだけでなく、科学実験、特に外気による種々の実験の対象とされている。そこで気功の、とりわけ外気の存在が科学的に実証され、気功ブームに勢いを与えた。ここにおいて、気功という言葉が新しい意義を得ることとなる。

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