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 気功は、一般の呼吸運動やスポーツではなく、武術や宗教でもない。調心・調息・調身の三調を手段として、病を防ぎ癒すもので、身体を壮健にし、寿命を延ばし、潜在能力を開発することを目的とした自己心身鍛練の方法である。したがって、この練習を通じて、心身や自己をコントロールする一種の能力が得られる。

 調心は、意識、心理活動を調節すること。調息は、呼吸の運動を調節すること。調身は、姿勢と動作を調節することである。考えてみれば、人間が実際に自分でコントロールできるのは、この三つである。さらに持続的な練習によって、このコントロール能力が伸ばされると、一般的に意識でコントロールできない副交感神経など不随意神経の生理活動まで、ある程度制御できる。それによって、人間の生命活動のプロセスすらコントロールできるようになる。またこの三調は、意識活動の鍛錬の三つの形でもある。すなわち、意識が伴わない心理活動や呼吸、動作は気功的な調心、調息、調身にはならない。
そこで我々は、気功をこう定義づける。


 気功とは、生命整体観(全体的な観点)理論に基づいて、能動的かつ積極的に内向性の意識活動の鍛錬を通じて、人体の生命機能を改善、改造し、完美、向上させ、人間の自然な本能を自覚的な知能に変えるための実践である。一般的に気功の定義とされている調心・調息・調身は、内向性の意識活動の鍛錬の延長にあるものとする。この定義は、気功の理論基礎、特殊鍛錬方法、気功練習の目的を明確に示し、気功のすべての特徴を包括したものといえる。以下にこの定義を4つに分けて、具体的に説明したい。


(1)気功の理論の基礎となるのは生命整体観である
◎ 宇宙・大自然は、一つの全体である。
◎ 人間自身は一つの全体である。この全体は、五臓六腑を核にして、経絡・気血でつながっている。
◎ 天人合一、すなわち人間と大自然は、一つの統一された全体である。
天人合一の整体観は、各種気功の共通する基礎理論であり、中国古代文明の精髄である。


(2)気功の特殊鍛錬方法は 内向性の意識活動の鍛錬である
◎ 一般の意識活動は、通常自分自身の生命活動以外の物事を考える。
これは外向性である。気功を練習する人は、内向性である。すなわち、意識を自分の生命活動と結び合わせる。三調は、意識が自分の心理活動や、呼吸、形体の姿勢、動作と結び合わせて、調節することである。
◎ 一般人の意識活動は、外に膨張していく。これからあれに、ひとつから多くへと膨くらんでいく。一方気功的な意識活動は、内に集中していく。単一の内容に収め、多くから、ひとつのことしか思わない。


(3)気功練習の明確なる目的は 自分の生命の機能を改善・改造して 完美・向上さることである
病気を癒し、予防し、体形を美しくし、知能を高め、道徳を高める。そして、潜在能力を開発することも含む。


(4)気功は 単なる学問ではない
気功を通して 自分自身の心身の健康を高める実践の過程である

単に気功の知識を学んでも、実際に気功を実践していかなければ、気功の利益を享受できないし、気功に対する理解も深く得 られない。


 この気功の定義は、すべての気功の流派に当てはめることができる。のみならず、ヨガ、静座、座禅にも適用できる。なぜなら、これらの方法の鍵を握っているからである。すなわち、内向性の意識鍛錬という点において、これらの方法は皆当てはまるからだ。どんな方法にも、意識活動は欠かせない。「意識活動は必要ない」としている功法もあるが、この言葉自体が、練功する人に一つの特別な意識活動の指示を与えているし、今後練功する時の内向性の意識鍛錬の内容となっている。

 現在続いている功法は、皆、意識活動を重んじている。伝統功法である仏家功は、明心見性"を強調している。また道家功は“修心煉性”を、儒家功は“存心養性”を説いている。これは皆、意識においての修業といえるだろう。

 この定義では、気そのものには触れていない。なぜなら、精神など意識活動に言及すれば、気はおのずとその中に含まれるからである。人間は「精」・「気」・「神(意識)」の三つの要素で構成されており、神(意識)は主宰の位置を占め、他をリードする役割にある。ゆえに意識が動くと、気もそれに従って動くのである。

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